[三浦篤]
自分でも予想外であったが、3月18日から21日まで中国の南京に滞在した。東大駒場のLAP(リベラル・アーツ・プログラム)の集中講義を引き受けて、南京大学で2日間授業をしたのである。尖閣諸島や大気汚染などが話題になっている頃であったし、マスク持参でおっかなびっくり飛行機に乗ったのだが、着いてみると誰もマスクなどしていないし、日本人だから危険な目に遭うということもなかった。もっとも、南京市内は何となくほこりっぽく霞んでいる。これはやはり公害か(近くにコンビナートもある)、それとも黄砂か、はたまた異常な建設ラッシュのためか(ユース・オリンピックを控えている)、やっぱり春霞なのか、最後まで判断がつかなかった。
それはともかく、リレー式の集中講義の総合テーマは「水」であった。南京大学の日本語学科の学部生、大学院生を相手に日本語で授業してよろしい、自分の専門のことをしゃべってほしいということだったので、主題はあっさり「水辺の印象派」にした。中国絵画、日本絵画にもほんの少しだけ触れたけれど。詳しくは以下を参照。
大学院生が私の授業を同時通訳してくれたが、約30人出席した南京大の学生たちの日本語力はなかなかのものだった。理解力と会話力は決して低くはなかった。われわれ日本人の外国語能力と思わず比べてしまった(東大の学生たち、もう少しがんばろう)。ただし、画像を見せて分析する美術史の授業に慣れていないし、印象派の作品をほとんど見たことがないから、最初はやや戸惑いがあったと思う。しかし、2日目になると慣れてきて反応もよくなったし、最後は質疑応答もできた。やって良かったと思える集中授業だった。
郊外に移転した南京大学の新キャンパスは広大な敷地を占めていて、日本の感覚では想像もつかない。ハードがこれだけ充実し、そこにソフトが加われば、日本の大学は圧倒されるかもしれない、そんな印象をひしひしと感じたのである。いや、であるからこそ、今なら東大の教養教育を中国に「輸出」できるという、LAPの世話役である刈間先生のご判断は実に正しい。お声がかかればまた行ってもよいと思った(南京の料理はとても美味しかったということもあるけれど)。ただ、これから中国語に手を出すのはちょっと難しいかな。やってみたい気持ちはあるのだが。