[三浦篤]
11月7日、8日の2日間にわたって日仏会館で開催されたシンポジウム「芸術照応の魅惑 近代パリにおける文学、美術、音楽の交差」は、いろいろな意味で初の試みであるといささか自負している。
以下の日仏会館イベントページよりプログラムにアクセスできます。
19世紀から20世紀にかけて、パリを舞台に芸術家の交友、作品の影響の両面において、文学、美術、音楽など諸芸術が密接に交流していた。それ自体はよく知られている事実だが、その豊かな成果は詳しく分析、解明されているとは言い難く、新たな視点や問題意識から芸術照応の内実にアプローチしてみようと考えたのである。3つの学会(日仏美術学会、日本フォーレ協会、日本フランス語フランス文学会)に協力をお願いし、さらに外国人の専門家も招聘し、文学、美術、音楽の各分野から意欲的な研究者に集まっていただいた。発表者には、少なくとも二つの異なる芸術領域にまたがる主題を取り上げるようお願いしていた。
詳しい内容はプログラムを見ていただきたいが、2日間にわたる発表で扱われた主な芸術家の名前をここに列挙してみよう。グランヴィル、ドーミエ、ベルリオーズ、ワーグナー、ゾラ、ファンタン=ラトゥール、ドビュッシー、ヴァレリー、ラヴェル、マティス、ザオ・ウーキー、ヴァレーズ(プーランクについての発表が発表者の健康上の理由でキャンセルされたのは残念であった)。これだけでも、シンポジウムの多様な広がりが自ずと理解できるだろう。2日目の全体討議で問題がさらに広げられ、深められ、諸芸術の意外な交差、興味深い論点が続出したのは、このテーマがまだ充分に研究されていないことを物語っている。個人的には19世紀フランスにおけるワーグナーの存在の大きさを改めて認識できたのは収穫だった。またよくありがちな文学と美術の相関関係に留まらず、そこに音楽を加えることで大きく世界が広がったのも予想を超えていた。欲をいえば、舞台芸術や映画などもあればさらに面白かったかもしれないが、それは2日間の枠組みを逸脱する規模になるので、今後の課題として残しておきたい。
詳しい内容はプログラムを見ていただきたいが、2日間にわたる発表で扱われた主な芸術家の名前をここに列挙してみよう。グランヴィル、ドーミエ、ベルリオーズ、ワーグナー、ゾラ、ファンタン=ラトゥール、ドビュッシー、ヴァレリー、ラヴェル、マティス、ザオ・ウーキー、ヴァレーズ(プーランクについての発表が発表者の健康上の理由でキャンセルされたのは残念であった)。これだけでも、シンポジウムの多様な広がりが自ずと理解できるだろう。2日目の全体討議で問題がさらに広げられ、深められ、諸芸術の意外な交差、興味深い論点が続出したのは、このテーマがまだ充分に研究されていないことを物語っている。個人的には19世紀フランスにおけるワーグナーの存在の大きさを改めて認識できたのは収穫だった。またよくありがちな文学と美術の相関関係に留まらず、そこに音楽を加えることで大きく世界が広がったのも予想を超えていた。欲をいえば、舞台芸術や映画などもあればさらに面白かったかもしれないが、それは2日間の枠組みを逸脱する規模になるので、今後の課題として残しておきたい。
そして、シンポジウムの真打ちこそは、最後に置かれたコンサートであった。サロン風の雰囲気の中で、ロマン派からブーレーズまで、選り抜きのフランス歌曲(詩と音楽の融合)とドビュッシーのチェロ・ソナタが聴けたのは、他では体験できない至福のひとときで、それは同時にシンポジウムが学問と芸術の照応の場にも変容した瞬間でもあった。コンサートを通して、全体テーマを別の形でたどり直せたのであるから。ともあれ、こんな贅沢なイヴェントを開催できたことを心から喜んでいる。
付け加えておくと、今回の企画の起点は、2011年6月に日本フォーレ協会の講演会に招かれ。「マネと音楽」についてお話したことにあった。会長の野平一郎先生のピアノ演奏つきという何とも贅沢な講演会だったのだが、美術と音楽の関わりというそれまであまり意識していなかった問題が私の中に俄然浮上してきたし、講演と演奏のインターフェイスという新しい試みがとても刺激的だったことをよく覚えている。したがって、今回のシンポジウムは、私にとってこの講演会の延長として自然に構想できたのだ。出会いとはまことに不思議なものである。