2021年2月28日日曜日

移り棲む美術

[三浦篤]

 2021310日に『移り棲む美術 ジャポニスム、コラン、日本近代洋画』(名古屋大学出版会)が刊行される。手元には先行して1冊今日届いたのだが、それなりの重量感、存在感を感じつつも、美しい仕上がりとなっていて感慨ひとしおだった。30年間に執筆した論文を詰め込んだのだが、アップデートして加筆修正すること、全体の構造に即して平仄、文体などを可能な限り合わせることが、これほど大変だとは当初思わなかった。それでもコロナ禍の最中、何とか時間を見つけてはこなしていき、最後は助成金の〆切でお尻に火がついたといったところだろうか。何とか刊行にこぎ着けたのは出版会の編集者の手腕以外の何ものでもない。学術書の危機など何のその、きわめて精度の高い校正を重ねて、本当に良い本を作っていただいた。どのように読んでもらえるか、これからの反応が楽しみである。

https://www.unp.or.jp/ISBN/ISBN978-4-8158-1016-0.html



2020年6月30日火曜日

「ジャポニスム2018」の遺産(レガシー)(2) —日本美術展から大英マンガ展へ—

[三浦篤]

 「ジャポニスム2018」という一大イベントは、主催者がどこまで明確に意識していたかは別にして、歴史的に見れば、19世紀の万国博覧会の日本展示を継承する日本文化博覧会であり、第2のジャポニスムの盛り上がりを期待する国家的文化輸出政策につながるものであった、というのが前回のブログの骨子であった。

 今回は実際の展覧会について、美術展を中心にコメントしたいのだが、私はすべての展示を見られたわけではない。2018年12月の第3週という渡仏時期の関係で、「深みへ-日本の美意識を求めて」展(ロスチャイルド館)、「若冲−動植綵絵を中心に」展(パリ市立プティ・パレ美術館)、「縄文−日本における美の誕生」展(パリ日本文化会館)、「藤田嗣治:生涯の作品(1886-1968)」展(同館)などは見逃してしまった。前回紹介した「日本−日本趣味、1867-2018」展(装飾美術館)以外に見ることができた展覧会は、「京都の宝−琳派300年の創造」展(パリ市立チェルヌスキ美術館)、「明治」展(ギメ東洋美術館)、「マンガ⇔東京」展(ラ・ヴィレット)であった。 

 パリ市立チェルヌスキ美術館で開催された琳派展(図1)は、俵屋宗達作、国宝「風神雷神図」が展示されたという点において衝撃的であったが、本阿弥光悦、宗達から尾形光琳・乾山へ、さらに江戸後期から近代にかけて琳派を継承する画家たちへと、絢爛豪華な装飾美の移り変わりを、優品を通して適確に見せてくれる好展示でもあった。絵画をはじめ書跡、陶芸、漆工なども含んでいるため、素材や技法の説明を丁寧にしているのもよかった。そして、日本ではここまでクローズアップされない近代の神坂雪佳を最後に大きく扱う意外な構成は、現代の生活美術全般にも通じる斬新なデザイン感覚を面白がるフランス側の関心の所在を感じた部分である。

図1:「京都の宝−琳派300年の創造」展、パリ市立チェルヌスキ美術館、2018年

 ところで、琳派展と並んで縄文展が行われたことは、1930年代にパリに滞在した画家岡本太郎が日本美術再評価を行ったことを思い起こさせる。岡本が『日本の伝統』(1956年)の中で取り上げたのが、縄文、琳派、石の文化(庭の飛石や石垣)であり、これは岡本の個性のみならず、フランス的な価値観を身につけた芸術家の感性を通した興味深い選択であった。その意味で、岡本の日本美術再評価にはフランスを通じたジャポニスムの環流という側面もあり、「ジャポニスム2018」もまた、一見すると日本美術の総花的な展示を提供しているように見えるが、フランス側の求める日本イメージとニーズを十分意識している。ただし、日本側も新味を出そうとしており、江戸時代の美術としては、欧米であまりにも有名な北斎を始めとする浮世絵版画を避けて、日本で近年圧倒的な人気と評価を誇る伊藤若冲の展示をプティ・パレ美術館で行ったのは確かに快挙であった。

 フランス側の奇妙なバイアスを最も感じた展覧会は「明治」展(図2)であり、首を捻った人も多いことだろう。展示物の中心がロンドン在住のナセル・ハリリの日本近代工芸コレクションであることが決定的なのだが、それだけではない。明治の日本を天皇制、西洋化、殖産興業、帝国主義といったイメージで囲いつつ、フランスで受容された建築、絵画(暁斎など)、版画、写真(アイヌ民族)などにも触れながら、輸出用工芸品としての陶磁器、漆器、家具、置物、細工物等々を大量に展示しており、何とも偏った内容であった。せめて「明治の工芸」展、あるいは「輸出された明治美術」展くらいならば、展覧会として理解できなくはないが、この展示で「明治」展と銘打たれてもただ戸惑うばかりであった。

図2:「明治」展、ギメ東洋美術館、2018年

 さて、ラ・ヴィレットの大ホールで開催された「マンガ⇔東京」展(図3)はどのように演出されていたのか。毎年行われる「ジャポン・エクスポ」が象徴するように、フランスは日本のマンガやアニメの受容に関しては世界でもトップクラスの国である。今回の展覧会は森川嘉一郎(明治大学国際日本学部准教授)をキュレーターに迎え、日本の国立新美術館との連携の下に準備されたもので、マンガ・アニメ・ゲーム・特撮作品に描かれた虚構としてのメガロポリス東京(前史としての江戸も含む)とリアルな都市東京とのイメージの相互嵌入を擬似的に体験するという、テクノロジカルでダイナミックな企画であった。マニア向け、日本好き向けの感もあったが、社会学的、文化史的な関心に導かれた知的な展示としても興味深いものがあった。

図3:「マンガ⇔東京」展、ラ・ヴィレット、2018年

 ちなみに、翌2019年にロンドンの大英博物館で観た「Manga/マンガ」展(図4)は、ラ・ヴィレットの「マンガ⇔東京」展とはまったく異なり、あくまでも視覚芸術としてマンガを捉えた展示であった。啓蒙主義的だが、単なる紹介に終わらないよう構成を工夫し、いくつかのテーマ、トピック別にマンガの魅力と全体像を伝えようとする意欲が十分伝わってきた。権威を持つ国立博物館でサブ・カルチャー系の展覧会が開催されたことは画期的で、フランスでマンガ展が開催されたのは展示会場のラ・ヴィレットであり、決してルーブル美術館ではないという大きな違いを認識せねばならない。「ジャポニスム2018年」ではハイ・アートとポピュラー・アートの区別は明確で、ルーブル美術館で展示されたのが名和晃平の巨大な彫刻作品「Throne」であったのは象徴的である。

図4:「Manga」展、大英博物館、2019年

 以上、「ジャポニスム2018」の個別の展覧会についての私の感想を述べたが、欧米への日本文化の「輸出」は次なる段階に入ろうとしていることを強く感じさせてくれた。相手の文化に合わせた紹介は必要だが、安易な妥協や迎合は必要なく、異質な美意識、価値観が接触して葛藤を起こし、違和感を醸し出すことも重要ではないか。意味のない神秘化も困るが、無理に分かりやすくする必要もない。理解の難しいものはそのまま提示し、自分だけ固執するのではなく、相手に同化するのでもない、文化の化学反応を起こして、ハイブリッドな新しいモノが生まれることを期待したい。「ジャポニスム2018」がその触媒となり得たかどうかを知るにはなお時間が必要である。

2020年5月29日金曜日

マネ講演会@日仏会館 by ZOOM

[三浦篤]

東京でもようやく緊急事態宣言が解除される段階まで来たものの、新型コロナウィルスの感染拡大状況はまだまだ予断を許さない。私もこの1ヶ月は自宅でオンラインの授業と会議に明け暮れる日々を過ごして、やや疲れ気味の感もあるが(オンライン授業は時々リスナーと会話することもあるラジオ番組のパーソナリティーを務めているようなもので、原則顔の見えない、声も聞こえない聴取者に向かって週4回みっちり90分程度しゃべるのはそれなりの仕事となる)、まあそれは覚悟して臨んでいることだし、これまでの授業とは違った発見もあるのでよしとしたい。

さて、来る619日に東京日仏会館で美術講演会を行うことになった。といっても、こちらもオンライン講演会である(登録のためのURL情報は以下なので良かったら視聴して下さい。録画したものをYou Tubeにも上げる予定のようです)。https://www.mfjtokyo.or.jp/events/lecture/2020-06-19.html



日仏会館ホームページより抜粋

マネについては2018年に『エドゥアール・マネー西洋絵画史の革命』(KADOKAWA)を刊行したが、それとは別に本格的な作品論を現在構想中である。10点くらい作品を選んで徹底的に解明してみようという試みで、方法論的な冒険でもあり、2021年度の終わりまでには出版したいという希望を持っている。今回の講演会では個別作品を詳しく扱うことはないが(昨年来日した《フォリー=ベルジェールのバー》の画像は記憶に新しいので使った)、サロン出品作に限定してマネの全体像を私なりに提示してみるつもりである。研究すればするほどマネは難しい画家だとつくづく思うこの頃である。


2020年4月19日日曜日

「ジャポニスム2018」の遺産(レガシー)(1) ―万国博覧会から日本文化博覧会へ―

[三浦篤]

 2018年にフランスで「ジャポニスム2018」と命名された一大文化イベントが開催されたことはまだ記憶に新しい。2018年は、日本とフランスの外交関係が樹立してから160年目、明治維新から150目、さらには日仏関係に寄与した文人外交官ポール・クローデルの生誕150周年でもあるという記念の年であった。周年事業というのは分野を問わず盛んであるが、これほど大がかりな日本文化のイベントがフランスで催されるのは滅多にないことである。美術、演劇、映画、食文化、文学、舞踊、マンガ・アニメ等々、日本文化の伝統と現在を象徴する興味深い企画がパリを中心にフランス全土50以上も繰り広げられ、20187月から20192月まで続いたのはまさに壮観であったに違いない(図1)。

図1 ジャポニスム2018、プログラム表紙

  全体は4つのカテゴリーのイヴェントで構成されていて、日本文化の原点とも言うべき縄文から伊藤若冲、琳派、そして最新のメディア・アート、アニメ、マンガまでを紹介する「展示」、歌舞伎、能から現代演劇や初音ミクまで、日本文化の多様な魅力を紹介する「舞台公演」、さらに日本映画100年をたどる特集上映を始めとする「映画」、食や祭りなど日本人の日常生活に根ざした文化等をテーマとする「生活文化 他」となっていた。私自身は2018年の12月後半、「黄色いベスト運動」のデモの余波がいまだくすぶるパリに仕事で訪れた折に、いくつかの展覧会を観たに過ぎないが、フランスの日本文化理解と日本の文化輸出についていろいろ考えさせられた。その際、まず気になったのが「ジャポニスム2018」というタイトルそのもので、今回の催しの特徴を逆説的によく表しているように思われる。

 というのも、今回の一連のイベント自体は正確に言えば「ジャポニスム」ではないからだ。現在知られているように、19世紀後半における「ジャポニスム」とは、日本の美術・文化の影響を受けた欧米の美術・文化における「日本趣味」を意味するのであり、浮世絵に触発されたモネやゴッホの絵画などが典型的な例に当たる。しかしながら、「ジャポニスム2018」では、日本美術の影響を受けたフランス美術ではなく、日本美術そのものを展示しているのだから、そうした展覧会は実は「ジャポニスム」展ではなく「日本美術」展なのである。

 にもかかわらず、無理矢理にでも「ジャポニスム2018」と銘打った意味合いについては後で論じるとして、今回のイベントと本質的に類似する催し物がかつてあったことを思い起こしたい。それは、欧米における「ジャポニスム」流行の大きなきっかけとなった19世紀の万国博覧会にほかならない。19世紀後半のパリでは1855年、1867年、1878年、1889年、1900年と5回行われた万国博覧会に、日本が正式参加したのは1867年以降であるが、その出品物には美術工芸品のみならず、日本の生活と文化に関わるありとあらゆる品物が含まれていた。さらに、1867年のパリ万博では日本の曲芸を見せたり、茶屋を建てて三人の芸者に日常生活を演じさせつつ茶湯の接待をさせたりし(図2)、1878年のパリ万博ではトロカデロの日本庭園に農家を設えるなど、物品展示とは別の見世物的な趣向も凝らしていたのである。万国博覧会への参加は、その当時の日本文化の全体像を魅力的な形で提示し、関心をかき立てることにより、国家としての評価と威信を高め、輸出産業の育成にもつなげる意味を持っていた。

図2 万国博覧会における各国の人物ー日本、『ル・モンド・イリュストレ』1867年9月28日(Types nationaux à l'Exposition universelle - Japon, Le Monde illustré, le 28 septembre 1867)

 
「ジャポニスム2018」とは、1867年のパリ万博から数えれば、ほぼ150年後の21世紀の時点において、日本文化の総体をフランスで再び提示した企画である。一種の「日本文化博覧会」であったと言ってもよい。むろん細かく言えば両者の違いはいろいろあるにせよ、むしろ本質的な違いをひとつ挙げるならば、2018年の方は19世紀後半のジャポニスムのことを知っているということであろう。そのことは、パリ装飾美術館で開催された展覧会「日本−日本趣味、1867-2018」が示す通りで、実は「ジャポニスム2018」の中で、本来のジャポニスムの要素を含むのはこの展覧会であった(図3)。



図3 Japon-Japonismes, 1867-2018, cat. exp., Musée des arts décoratifs, Paris, 2018.

 
装飾美術館の日本美術コレクションから選んだ作品をベースに、日本から影響を受けたフランスの作品をも挿入した本展は、陶磁器、着物、櫛、刀の鐔から袱紗、硯、竹籠、椅子まで、さらには版画、ポスター、写真なども交えて、19世紀後半から21世紀までの装飾美術における日仏交流の歴史を大量の展示物で視覚化してみせた(図4)。ジャポニスムにおいては、絵画や版画以上に工芸品、装飾美術こそが汲めども尽きせぬ媒体となったことを改めて認識させる展覧会でもあり、おそらく「ジャポニスム2018」の副題「共鳴する魂」に最も適合するのはこの美術展であった。

図4 「日本ー日本趣味、1867-2018」展、会場写真

 しかしながら、これはほとんど唯一の例外であって、他の展覧会はすべからく日本美術そのものを
展示していた。では、そうしたイベントの総称として「ジャポニスム2018」と銘打ったのはなぜか。おそらくは、かつてパリ万博の後で「ジャポニスム」の流行を生み出したように、今回の「日本文化博覧会」の後でも新たなる「ジャポニスム」のうねりが誕生してほしいという期待の表れに違いない。「夢よ、もう一度」、そうした願望を先取りした命名なのではあるまいか。果たして、この後「新ジャポニスム」が生まれるかどうか、これから見届けなくてはならないであろうが、今回の他の美術展はそれに寄与するのか。次にその特徴とポテンシャルを検証してみたい。(続く)

2018年10月24日水曜日

新著刊行『エドゥアール・マネー西洋絵画史の革命』(KADOKAWA, 2018)

[三浦篤]

 長年、まとめたかったマネ論を最近ついに刊行することができた。別個に考えているマネに関する本格的な研究書(作品研究を中心としたもの)とは違った内容で、研究書と美術評論の両方の要素を含んでいる。いろいろな事情もあり、この問題提起的なマネ論を先に世に出すことになった。
 問題提起的と言ったのは、マネに関する見方と歴史的な位置づけに力点を置いているからで、個々の問題を厳密に論証することを主眼に置く書物ではないからだ。イメージを自在に操るというか、過去のイメージを自由自在に組み合わせ、大胆な色彩と筆触で現実を表現する手法で西洋絵画を更新したこの画家は、21世紀までつながる絵画革命を19世紀後半のパリで敢行したと見える。
 詳しくは本書を読んでいただくしかないが、マネを軸に西洋絵画史をたどり直そうという試みは、書いていて大変楽しかったし、筋は通っていると思う。それだけのポテンシャルを持っているのだ、マネという画家は。
 これを機に長らく休んでいたブログも再開したい。9月から10月にかけて怒濤のごときイヴェント続きだったことについては、次回またお話ししよう。



2017年5月29日月曜日

パリの石橋コレクション

[三浦篤] 

 5月のパリ出張で「石橋財団ブリヂストン美術館の傑作」展を観た。モネの「睡蓮」でよく知られるオランジュリー美術館で2017年4月5日から8月21日まで開催されており、日本の西洋絵画コレクションのヨーロッパでの紹介という意味では、私が2015年〜2016年にドイツのボンで組織した「日本の愛した印象派」展の流れに続くものだ(2015年10月18日のブログ参照)。あのときは、石橋コレクションを含め、日本の主要なコレクションからAll Japanで出品していただいたが、今回はひとつのコレクションの優品を紹介する企画で、個別コレクションの実力が試されるのだが、1日4千人近い観客数と聞いたので、パリの展覧会としてはよく入っていると言ってよい。私としては、カタログにテクストを書かせていただいたご縁もあり、ブリヂストン美術館で見慣れたコレクションであるから、半ば確認のつもりで訪問したのである。




 ところが、会場に入ってみて予想を超えた展示に少なからず驚いた。まずは、始まりが西洋近代絵画ではなく、日本近代洋画、青木繁の《海の幸》という選択。石橋正二郎は最初、青木繁、藤島武二など日本近代洋画の収集から始め、その後、印象派などフランス近代絵画を購入していったのだから、そのコレクション形成史を尊重しているのだが、と同時に、「日本のコレクション」であることを印象づける効果もあるだろう。

 その後、フランス近代絵画から20世紀の抽象絵画までゆるやかに展示が移行するのだが、かつてブリヂストン美術館で観ていたときとは異なる印象を作品から受けたのは、なんとも不思議な気持ちだった。もちろん、美術作品は展示環境が異なれば違って見えるというのは常識に属するが、妙に張り詰めた心地よい緊張感があるのだ。それは、壁ごとに左右対称性を意識して並べる西洋的な展示に由来するのかもしれない。あるいは、彫刻と絵画を見事に組み合わせる卓抜なセンスにあるのかもしれない(例えば、ロダンとセザンヌ)。





 さらには、観客の視線をスムーズに誘う導線とか、照明効果の素晴らしさとか、空気や湿度の差異もあるのかもしれないが、ともあれ、いろいろ考えを巡らしながら歩いていくと、まるでその作品を初めて観たかのような新鮮な体験の連続であったのは確かなのだ。要するに、フランスの美意識を通して提示された日本のコレクションということなのか。これは一見の価値があると保証しよう。

第3回ピカソ国際会議(バルセロナ)および第15回エコル・ド・プランタン(ジュネーヴ)発表報告

[松井裕美]

 この度、バルセロナで開催された第3回ピカソ国際会議(427日〜29日)およびジュネーヴで開催された15エコル・ド・プランタン(58日〜12日)に発表者として参加させていただく機会を得た。前者は2回目の発表、後者は4回目の発表・参加である。
 「ピカソとアイデンティティー」と題されたピカソ国際会議では、ピカソと解剖学の関係に関するこれまでの研究の独自の知見を踏まえつつ、ピカソ作品における女性像のアイデンティティーの変化がキュビスム的身体像と結んでいた関係を指摘した。このことを通して、ピカソのキュビスム的身体像の構築が従来考えられてきたような「女性への攻撃」ではなく、女性へ向けられた芸術家自身の眼差しへの内省とその解体に関わるものであるという視座から、《アヴィニョンの娘たち》を始めとする1907年前後の作品を再解釈した。結果会場に集ったピカソ研究者より新知見に対する承認を得たことは、この度の学会の個人的な成果である。また「想像力」をテーマにしたエコル・ド・プランタンでは、彫刻家デュシャン=ヴィヨンにおけるベルクソン思想の影響を論じた。そこではベルクソン思想の参照を証拠づける未刊行資料を紹介しながら、芸術家がベルクソンの生気論から受けた影響について、素描と手稿の分析をもとに論じた。本発表が契機となり、休憩時間中には会場の方々との対話の中で現在私が進めている研究課題に関連する有益な情報を得ることができた。

 ところで、この度のピカソ国際学会とエコル・ド・プランタンには、開催地固有の文化における「国際性」と「地方性」との関係を展開するという姿勢が共通して認められた。例えばジュネーヴの学会企画のエクスカーションでは、ジュネーヴの歴史遺産の保存と展示(展示理念や展示に関わる係争)に焦点をあてた解説がなされ、参加者同士で他の都市の博物館展示の問題と比較し議論する機会となった。またバルセロナでのピカソ学会ではピカソの「カタルーニャ性」、「スペイン性」といった視点が議題にのぼり、同芸術家の「フランス性」、「ドイツ性」、「ユダヤ性」、「ソヴィエト性」、「アフリカ性」と並置され、再検討された。こうして、国際的な評価を受けたピカソが様々な共同体(地域・都市・民族・国家)の歴史に再編される動的で複層的なプロセスが、会を通して浮き彫りになった。特定の地方の文化的特有性を主張するばかりではなく、文化の「地方性」が形成される歴史を、学問という客観的立場から国際的な場で共有し比較・考察の対象とする姿勢は、バルセロナとジュネーヴという、地方文化の特有性を大切に守りながら外部へと開かれた国際都市でもある場での開催であるからこそ一層、学会全体をより意義深いものにしていたように思われた。


ピカソ国際会議2日目の懇親会はバルセロナの街を一望するミロ財団の美術館で開催された。