[安永麻里絵]
2012年7月1日、箱根のポーラ美術館にて、同館学芸部と三浦ゼミとの合同研究会第二回が開催された。
本研究会は、企画展『印象派の行方』の研究成果を出発点に、さらに議論を深める目的で開催された。美術館における知と大学における知がいかに響き合うか、その可能性を実践的に探る、という他に類をみない試みである。
『印象派の行方』展は、いわゆる最後の印象派展以後の印象派、を主題とする。すなわち、1886年の第8回印象派展(スーラが«グランド・ジャット島の日曜日の午後»を出品した展覧会である)をもって、「印象派」が“最も先鋭的な芸術家集団”の座を新印象主義や総合主義をはじめいわゆるポスト印象主義の世代に明け渡したとされる1890年代以降、印象派の画家たちはどのように制作を行い、同時代の画家や批評家にいかに評価されていたのか、を主題としている。
研究会では、ポーラ美術館からは島本英明と東海林洋の両氏にご発表いただき、三浦ゼミからは川辺和将、農頭美穂、安永麻里絵の3名が発表の機会を頂いた。展覧会を担当された島本氏による「1890年前後のルノワール評価―印象主義と古典主義のはざまで」では、ルノワールが1884年から1887年にかけて制作した大作«大水浴»(フィラデルフィア美術館蔵)とポーラ美術館所蔵の«髪飾り»(1888年)を軸に、印象派展以後のルノワールの画業における古典主義の受容と意義が考察された。氏は、前衛的芸術家としての立場を経験した印象派の画家たちの「その後」の制作活動における古典主義の意義、という研究会全体に共有される視点を提示された。ピカソの内面における古典芸術とのある種の抑圧的構造と彼の画風の展開の関連性の分析を試みた東海林氏による「パブロ・ピカソ―古典の影」もまた、同様の問題意識に根ざしている。一方で、美術作品や画家の周辺、つまり美術批評家、画商、コレクターといった視点からの考察も提示された。川辺の「売るクロード・モネ―市場と言説をめぐる画家の戦略」は、美術市場に戦略的に自作を売り込む画家、というモネの新たな一側面に光をあて、農頭による「ピエール・ボナールをめぐる言説についての試論―印象派の後継/改革者、取り残される熟練の画家」では、印象派という前世代のビッグネームとの関連性によってボナールの評価が揺れ動くさまが描き出された。安永による「世紀転換期ドイツにおけるフランス印象派の受容」では、印象派の作品が、批評家による“前衛的特質”の保証によって市場価値を得ていた時代の後に、近代美術史の一部としてそれらが美術館コレクションに組み込まれていく過程が考察された。
[左:発表風景 右:荒屋鋪館長]
島本氏が発表の終盤で示された、ルノワールがルーヴルに飾られた自作を見に訪れた経緯についての考察が個人的に印象に残っている。画家にとっての美術館という見方が、作品を蒐集する側である美術館を主体とする私自身のアプローチとどこか接点を結ぶように感じられたからだ。作品その物を身近に置かれている美術館の方々のご研究と、資料から出発することの多い大学の研究は、たとえばレジュメの作り方ひとつをとっても随分と違っているけれども、両者が出会うことで、さらに新しい視界が開かれる、そのことを実感した研究会だった。2005年の第一回に引き続き、ご多忙の中このような貴重な機会を快く提供して下さった荒屋鋪館長をはじめポーラ美術館学芸部の皆様に、厚く御礼申し上げる次第である。