エコール・ド・プランタンでは最終日となる5日目の午後に発表させていただいた。会場は東大駒場キャンパスの学際交流ホールである。Le japonisme d'Ernest Chesneau : la quête du caractère national(エルネスト・シェノーのジャポニスム——国民性を探し求めて)と題したフランス語の発表では、19世紀フランスの美術批評家エルネスト・シェノーによる日本美術論を検討した。シェノーによる日本美術論はその先駆性、同時代の状況を証言する資料としての価値、そして日本美術の本質的特徴を捉えた議論の深みなどが認められて、ジャポニスム研究において幾度となく参照されてきた。だがその一方で、シェノーによる著述活動のうち日本美術に関わるテクストのみが注目されることが多かった。本職が美術批評家であったシェノーによる著作や批評記事の全体を顧みるとわかるのは、古典主義(とくにイタリア美術を規範とする「イタリアニスム」)によってフランス美術は衰退の一途をたどり、さらには19世紀に入りヨーロッパ各国がフランス美術を熱心に学んだ結果、それぞれの国の芸術における国民性が喪失しているとする強い懸念があったことである。それゆえに極東で独自の芸術を開花させた日本の芸術、言い換えれば「国民性」がはっきり刻印された日本美術にシェノーは着目したのだ。各国の芸術家が自身の地域に根ざした芸術を作り上げるべきと説くシェノーは、これを「芸術におけるナショナリズム」と名付ける。
この立場は、フランスの工芸家に向けてシェノーが行った講演にも反映されている。シェノーは日本の装飾芸術の安易な模倣(モチーフの借用など)を戒める一方で、その本質的な装飾原理を学ぶことをすすめる。そのために「非対称性」「感覚の遠近法」「触覚の美学」といった独自の言葉で日本美術の装飾原理を概念化した。模倣を回避しつつも原理を応用するという、自己矛盾をきたすことになりかねない目論みを達成するための手段として、シェノーは日本の装飾原理を抽出したのだ。フランスの装飾芸術においてフランスらしさ(国民性)を失うことなく、日本美術の原理の応用によって作品の改良につとめる態度には、彼のいう「ナショナリズム」が反映されていた。シェノーの日本美術論は、日本とヨーロッパ諸国、美術と工芸といった複数の国や領域をまたがる「枠組み」の中で構想されたのだ。
発表で試みたことの一つは、日本美術の受容研究を純粋なジャポニスム研究の枠内に留めるのではなく、美術批評研究の領域へ押し広げて、広く同時代美術の中における日本美術の位置を一人の批評家を軸にして探ることにあった。発表の意図が聴衆に十分に伝わったかはわからないが、発表後には関心を持ってくれた方々から様々な反応を得ることができた。近代の美術史学におけるナショナリズムを専門とするミケラ・パッシーニ氏にはとくに、研究上の様々な助言をいただき大変ありがたかった。参加者の中にはフランス美術史編纂と美術批評家の問題に関心を寄せる学生もいて、今後も継続的に話をすることになり、有意義な出会いとなった。実際のところシェノーも含めて19世紀フランスの美術批評家の言説には、フランス美術の優位性を説く、一般的な意味でのナショナリズムが見出せる。美術批評におけるナショナリズムの言説研究は立ち遅れているものの近年関心が集まりつつある重要な領域なので、今回知り合った方々とも連携をとりつつ研究課題として取り組んでゆきたい。
エコール・ド・プランタンの5日間は、かつてないほど濃密な時間を過ごしたように思う。思い返せば私が修士課程の学生であった頃から、たびたび外国からの研究者が講演やシンポジウム、あるいは集中講義のために駒場を訪れていた。そうした国際化の集大成として今回の催しを位置づけることもできるのではないだろうか。世界各国の研究者や同世代の学生が日本に集って5日間に渡って時間をともにする、いわば奇跡的な催しに発表者として参加できたのは、この上ない幸運であった。こうした国際交流の貴重な「枠組み」が永続することを切に願う。最後に、5年前から東京大会を準備してくださった三浦先生をはじめ、ご支援いただいた財団の方々、準備に携わった先生方、学生、そして遠方から東京までお越し下さった全ての参加者にこの場を借りてお礼申し上げたい。