2016年2月11日木曜日

SOASシンポジウム報告

[申旼正]
 
 2015年10月10日と11日の二日間、ロンドン大学のSOAS(the School of Oriental and African Studies)にて「境界の解体:「東アジア美術史」は可能なのかDeconstructing Boundaries: Is ‘East Asian Art History’ possible ?」というテーマでシンポジウムが開かれ、発表者の一人として参加させていただいた。今回のシンポジウムは、東アジアの美術史に存在する境界を取り壊し、それを超えた「広域の交流史」として東アジア美術史を成り立たせることは出来るのかという問題意識から企画された。東アジア美術を専門としている世界各地の研究者23名(基調講演5名、テーマ発表11名、討論者7名)が集まり意見を交換した。

 シンポジウムは、大きく三つのセッションで構成されており(1. 日本における東アジア美術という発想の構築 / 2. 中心的な存在としての日本のアカデミー / 3. 戦争と身体)、日本における東アジア美術の概念を問い直し、東アジア美術という枠組みから捉えた美術活動に関する様々な発表が行われた。特に、5人の先生方(林洋子、板倉聖哲、三浦篤、佐藤道信、島尾新先生。プログラム表記順)による基調講演は、東アジア美術史に対する新しいアプローチを提示しており、歴史的な物事を総合的に眺め、幅広く理解する柔軟な態度と知性に目を開かされた。

 私自身は二日目に、「「マージナルマン」裵雲成−−彼のヨーロッパ体験と視点、その芸術(“Marginal man” Un-Soung PAI: his European experience, his view and his art)」というタイトルで発表を行った。裵雲成(1900−1978)は、ヨーロッパに留学した最初の朝鮮人洋画家で、ドイツとフランスに長年滞在しながら(1922−1940)、異国趣味溢れる作品で高く評価された人物である。今回の発表では、特に彼のヨーロッパでの活動とイデオロギーに重点を置いた。裵の芸術の特性といわれる、画法の「東洋性」を彼のヨーロッパ体験と結びつけて捉えようとしたのである。また、当時ヨーロッパで活動していた各界の日本人と裵との人間関係を見ることによって、文化の異なる複数の集団に属しながら、そのいずれにも完全には所属することができず、その境界にいる「マージナルマン」としての裵雲成のアイデンティティーを浮き彫りにし、既存の研究とは異なる視点を提示しようとした。
 今回の発表のために三ヶ国(フランス、ドイツ、韓国)で資料調査を行っており、様々な研究機関・団体にご協力をいただいた。パリ国際大学都市の図書室及びフランス国立東洋言語文化研究所(以上フランス)、ベルリン国立民族博物館(ドイツ)と国立現代美術館資料室(韓国)の関係者の皆様に、この場を借りてお礼申し上げたい。 



 両日の最後に設けられた「質疑応答・議論」の時間には、自由な雰囲気のなかで活発な議論が交わされ、特に「東アジア」という概念規定の必要性や東アジア美術史における境界の「再構築」の可能性、美術史家の役割やその展望に関する案件などは、今後も皆で考えていくべき課題だと思われた。そのいずれも即答しかねるものではあったが、美術史家が越境的で相互協力的な視座に立って、「広域の美術史」を実現する必要があるという見解には参加者一堂が同意した。

 博士1年生であった2013年、鳴門の大塚国際美術館で開催された国際美術史学会CIHAのコロキウムに初めて参加し、参加者たちの英語発表を憧れを持ちながら聞いた記憶がある。当時は自分には程遠いことだと思っていたが、今は国際学会に足を運ぶことの重要性を痛感し、機会があれば喜んで参加させていただいている。国際学会は、自分の研究の意義を広く知らせ、その方向性に関して様々な研究者と意見を交わし合える貴重な機会である。自分の考えを積極的に発表する訓練やそれを正確に伝えるための外国語能力を鍛える機会にもなる。また、国際学会で多様な研究発表を聞き、いろいろな同僚たちと付き合えることは非常に楽しい経験でもある。分野を問わず、国内の充実した研究を外国に発信し、海外で行われている研究を国内に紹介する場が多く設けられてほしい。 
 
 最後に、有意義なシンポジウムを 企画してくださったSOASの富澤愛理子さんと準備に携わったSOASの方々、シンポジウムに参加する機会を与えてくださった三浦先生に心から感謝申し上げたい。 


〈プログラム〉

〈発表要旨〉