2014年11月25日火曜日

パリ美術書探訪

[齋藤達也]

 インターネット経由で本を買うことが多くなった昨今、書店に足を運ぶ機会が減ってはいないだろうか。今回はパリで19世紀の美術書を扱う書店をいくつか紹介したい。

 まずは一年ほど前に改装されたオルセー美術館の書籍売り場。入店すると展覧会関連書籍がまず目に飛び込むが、書店の核を成しているのは芸術家、主題、言語(主に英仏)、芸術(絵画、彫刻、装飾芸術等)ごとに分かれた書棚である。新刊書に限れば、19世紀美術の研究書をこれだけ多く並べるパリの本屋は他にない。近年惜しくも休刊(または廃刊?)になった48/14 La Revue du musée d’Orsayも、今ならここでバック・ナンバーが手に入る。

 オルセーと並んで、否 、それ以上に美術書新刊チェックに欠かせないのがルーヴル美術館の書店だ。様々な分類にしたがって並んだ本は古代から20世紀までをカバーするだけに、本棚を眺めているだけで自ずと時代的な視野が開けてくる。美術専門誌の取り扱いも充実していて、Revue de l’artやBurlington Magazineはもちろん、La Revue des musées de FranceやHistoire de l’art、それにLes Cahiers d’histoire de l’artなどが揃う。だが筆者が考えるこの売り場の最大の強みは、開催中の展覧会のカタログ平積みコーナーである。パリ、フランスの地方、そして海外の展覧会の主要なカタログを手にとることができるのだ。最新のカタログを立ち読みすることで、その場で地方や海外への遠征を決めることもある。

 新刊と古書をともに扱うジベール・ジョゼフ(サン=ミシェル通りの店舗)も巡回先として外せない。フランスの書店にしてはやや味気ない店内だが、美術書売り場は隅から隅まで入念にチェックする価値がある。本の希少性と価格の二点において、しばしば掘り出し物が眠っているからだ。平積みの棚の下部にぎっしり詰められた古書も、目立たないだけに要確認。

 美術書を扱うパリの古書店となると、数え上げれば切りがない。ここではパリ滞在中の三浦先生より教えて頂いた老舗二店を紹介する。まずはサン=シュルピス広場の一角にあるピカール(Picard)。店内には研究書や19世紀の古書が数多く並ぶ。もう一店はボナパルト通りのラ・ポルト・エトロワット(La Porte étroite)。約30年前に開業したこの美術書専門店には名だたる美術史家が通ったそうだ。店主のクロード・シュヴァルベール氏は数十年に渡る研究のすえ、630頁に及ぶDictionnaire de la critique d’art à Paris 1890-1969の改訂版(そして決定版)をレンヌ大学出版会から上梓したばかり。決して広くない店内には、幅広い知識によって厳選された本が所狭しと並んでいる。三浦先生も留学時代から通われていたそうで、今回学生数人で訪ねたところ、シュヴァルベール氏に大変丁寧に対応して頂いた。近々店を畳むそうなので、この歴史的な美術書専門店を訪れたい方はお早めに。


2014年9月4日木曜日

美術史の「国際化」の現状と将来 −「エコール・ド・プランタン」東京大会を終えてみて−

[三浦篤]
 
 まずは、20146月に開催された「エコール・ド・プランタン(春のアカデミー)」東京大会が成功裏に無事終わったことを心から喜びたい。
 「美術史における枠組み」という全体テーマが、西洋と日本の美術における見方、考え方を相対化する刺激的な問題設定であったためか、多数の応募があり、その中から選ばれた発表の質は全体に高かった。また、プログラムに組み込んだ4つの講演が啓発的で、視野の広いものであったことも功を奏したと思う。発表後の質疑応答のみならず、休憩やレセプションの場においても、参加者相互で熱心な議論や交流が見られたのは、1週間にわたる国際セミナーの大きなメリットであった。その結果、西洋美術と日本美術の間に横たわる多様な問題(価値観の差異、主題や造形手法の相違、両者の影響関係等々)に関して、相互の立場から理解をある程度深めることができたのは大きな成果であったと言えよう。


 さて、今回のセミナーの最大の意義は、日本の美術史研究を国際的なネットワークの中に参加させるようささやかな一歩を進めたことにある。極東の島国として孤立することなく、世界水準で教育、研究を行うことは人文科学の喫緊の課題であるが、今回のセミナーは美術史におけるその突破口の一つになったと思うし、今後も続いていくことを期待している。とりわけ、20代後半から30代前半の国内外の優秀な若手美術史研究者が、これだけの数で集まる機会は滅多にない。今回の経験が、これからグローバルな場で活躍すべき日本人研究者の血肉となり、研究活動に生かしてくれることを願って止まない。
 逆に、来日した40人近い外国人研究者たちにとっても、セミナーを通して日本の美術史研究および研究者を知るばかりか、未だ充分に海外に伝わっていない日本文化、日本美術を知る良い機会にもなったと確信する。美術館、展覧会見学の機会を設けて、外国人研究者が直に日本美術に触れられるきっかけを作ることができたのも良かった。このような実質的な交流の場を整えることこそが、日本の美術史学が国際的なレベルで発展していくために、もっとも効果的な手立てのひとつであることは間違いなかろう。


 むろん、こうした試みの第1歩としての限界はあり、日本語、日本文化を知らない外国人研究者とどのように議論し、お互いに理解を深めていくのかという問題点も浮き上がってきた。今回は通訳なしで主に英語、フランス語を使用したが、率直に言って、これでは対等の関係とは言えないし、本当の意味でグローバルな比較などできないと思う。世界的に見て美術史学が西洋中心であることは否定できないし、コミュニケーション言語として英語を話すのは現状では必須であろうが、多言語主義を標榜する「エコール・ド・プランタン」が日本やアジア地域にまで、真に(というのは、「植民地主義」的な構えでなくという意味であるが)領域を拡大できるかどうか見守っていきたい。日本語を知らなければ日本美術の理解も畢竟浅いレベルに留まらざるを得ないが、はたして日本語を習得するところまで日本文化に興味を抱く研究者は欧米にどれくらい存在するのであろうか。
 また、今回のセミナーはほとんど西洋と日本の関係に終始し、ごく稀に中国や韓国のことが話題になる程度であったが、これも不十分な「枠組み」であろう。美術史のネットワークをアジアに拡大し、研究者の交流を積極的に推進することも今後の重要な課題となるだろう。今回のセミナーを通してそのことを意識させられたのも、予想外の収穫であったと言ってよい。


 セミナーの効果の話に戻ると、これを足場として優秀な日本の若手研究者たちが世界に飛躍していくことを念願している。セミナーに参加した外国人教員の元に留学することも不可能ではないだろうし、共同研究の可能性も開かれている。過去3回の大会に参加した若手研究者たちが、外国語を駆使しながら既に国際的なネットワークの中で各々の研究を展開している事実にも勇気づけられるだろう。現在では、海外のシンポジウムに応募して研究発表したり、外国の専門誌に論文を投稿したり、外国人研究者たちと個人的につながりを持ったりするのは、当たり前なのだから。そのような人材が引き続き出現してほしい。
 最後に、このように大規模な国際セミナーを開催し、つつがなく運営するためには、さまざまな条件が整うことが必要であった。運営委員として、学生スタッフとして協力してくれた皆さん、会場等に協力して下さった諸機関、そしてまた、大会の意義を認め寛大なご支援を賜った公益財団法人石橋財団に対し、組織責任者として改めて心より御礼申し上げたい。

2014年7月12日土曜日

エコール・ド・プランタン東京大会参加記録   19世紀フランスにおける日本美術をめぐる言説の「枠組み」

[齋藤達也]

 エコール・ド・プランタンでは最終日となる5日目の午後に発表させていただいた。会場は東大駒場キャンパスの学際交流ホールである。Le japonisme d'Ernest Chesneau : la quête du caractère national(エルネスト・シェノーのジャポニスム——国民性を探し求めて)と題したフランス語の発表では、19世紀フランスの美術批評家エルネスト・シェノーによる日本美術論を検討した。シェノーによる日本美術論はその先駆性、同時代の状況を証言する資料としての価値、そして日本美術の本質的特徴を捉えた議論の深みなどが認められて、ジャポニスム研究において幾度となく参照されてきた。だがその一方で、シェノーによる著述活動のうち日本美術に関わるテクストのみが注目されることが多かった。本職が美術批評家であったシェノーによる著作や批評記事の全体を顧みるとわかるのは、古典主義(とくにイタリア美術を規範とする「イタリアニスム」)によってフランス美術は衰退の一途をたどり、さらには19世紀に入りヨーロッパ各国がフランス美術を熱心に学んだ結果、それぞれの国の芸術における国民性が喪失しているとする強い懸念があったことである。それゆえに極東で独自の芸術を開花させた日本の芸術、言い換えれば「国民性」がはっきり刻印された日本美術にシェノーは着目したのだ。各国の芸術家が自身の地域に根ざした芸術を作り上げるべきと説くシェノーは、これを「芸術におけるナショナリズム」と名付ける。
 この立場は、フランスの工芸家に向けてシェノーが行った講演にも反映されている。シェノーは日本の装飾芸術の安易な模倣(モチーフの借用など)を戒める一方で、その本質的な装飾原理を学ぶことをすすめる。そのために「非対称性」「感覚の遠近法」「触覚の美学」といった独自の言葉で日本美術の装飾原理を概念化した。模倣を回避しつつも原理を応用するという、自己矛盾をきたすことになりかねない目論みを達成するための手段として、シェノーは日本の装飾原理を抽出したのだ。フランスの装飾芸術においてフランスらしさ(国民性)を失うことなく、日本美術の原理の応用によって作品の改良につとめる態度には、彼のいう「ナショナリズム」が反映されていた。シェノーの日本美術論は、日本とヨーロッパ諸国、美術と工芸といった複数の国や領域をまたがる「枠組み」の中で構想されたのだ。


 発表で試みたことの一つは、日本美術の受容研究を純粋なジャポニスム研究の枠内に留めるのではなく、美術批評研究の領域へ押し広げて、広く同時代美術の中における日本美術の位置を一人の批評家を軸にして探ることにあった。発表の意図が聴衆に十分に伝わったかはわからないが、発表後には関心を持ってくれた方々から様々な反応を得ることができた。近代の美術史学におけるナショナリズムを専門とするミケラ・パッシーニ氏にはとくに、研究上の様々な助言をいただき大変ありがたかった。参加者の中にはフランス美術史編纂と美術批評家の問題に関心を寄せる学生もいて、今後も継続的に話をすることになり、有意義な出会いとなった。実際のところシェノーも含めて19世紀フランスの美術批評家の言説には、フランス美術の優位性を説く、一般的な意味でのナショナリズムが見出せる。美術批評におけるナショナリズムの言説研究は立ち遅れているものの近年関心が集まりつつある重要な領域なので、今回知り合った方々とも連携をとりつつ研究課題として取り組んでゆきたい。
 エコール・ド・プランタンの5日間は、かつてないほど濃密な時間を過ごしたように思う。思い返せば私が修士課程の学生であった頃から、たびたび外国からの研究者が講演やシンポジウム、あるいは集中講義のために駒場を訪れていた。そうした国際化の集大成として今回の催しを位置づけることもできるのではないだろうか。世界各国の研究者や同世代の学生が日本に集って5日間に渡って時間をともにする、いわば奇跡的な催しに発表者として参加できたのは、この上ない幸運であった。こうした国際交流の貴重な「枠組み」が永続することを切に願う。最後に、5年前から東京大会を準備してくださった三浦先生をはじめ、ご支援いただいた財団の方々、準備に携わった先生方、学生、そして遠方から東京までお越し下さった全ての参加者にこの場を借りてお礼申し上げたい。

エコール・ド・プランタンに参加して

[申旼正] 

 今回のエコール・ド・プランタン(第12回、2014年6月9日—13日、東京)では、「美術史における枠組み」というテーマに基づき、様々な議論が行われた。国境と時代、ジャンルを超えた多様な発表やそれに対する質疑を聞くこと、またそれぞれの発表が持つ意義を「枠組み」という大きなテーマの中で考えることは興味深い経験であった。各国の研究者たちとアイデアや情報を交換し親交を結ぶことによって、視野を広げることもできた。
 この度は私も3日目に発表の機会をいただき、「韓国美術と李應魯–西洋美術と東洋美術の融合」というタイトルで、韓国系フランス人画家の李應魯(イ・ウンノ、19041989)に関する発表を行った。李應魯は、時代的には近現代を、地域的には韓国と日本、そしてヨーロッパを生きた人物である。またその表現は、韓国の伝統絵画からはじまり、日本画、洋画の写実主義や西欧の抽象表現主義にいたるまで多岐にわたっている。戦前は日本植民地支配の下で、戦後はフランスに渡り、混沌と無秩序の西洋史の中で作品を通して社会に向き合おうとした画家なのだ。今回の発表では、画家李應魯の歴史認識を彼の西欧経験や作品と関連づけて多角的に論じたかった。しかし、発表を準備する過程は決して順調なものではなかった。20139月にパリ留学を開始してからわずか半年で、適切な資料を発見するには情報が足りなく、他の文献を参考にするにはフランス語能力が足りず、心の底から満足できる発表ではなかった。しかし、質問やコメントをもらうことによって研究における新しい課題が浮き彫りとなり、研究生活を続けていく上での貴重な経験となった。


 学会に参加する際にはいつも感じるが、会場で他の研究者の発表を聞き、その成果を確認することは、研究生活に活力と刺激を与えてくれる。特に今回のエコール・ド・プランタンでは高階先生をはじめ素晴らしい先生方の講演を聞くことができ、記憶に残る一週間となった。幅広い知識に基づき、多様な資料を提示しながら、対象を自由自在に取り扱う手際に感銘を受けた。自分の関心事と聴者の興味のあいだでバランスをとり、研究の重要性を理解し易く伝える、その発表のテクニックについても考えさせられた。
 日本を訪れた同年輩の研究者たちと親しくなり、一緒に東京を楽しめたことも忘れられない思い出である。一緒に原宿の街を歩き、六本木のウサギカフェを訪れ、いろいろなことについて自由に話す中で友情を深めることができた。研究上の同僚であり、友達として大事にしたい関係である。
 もはや研究者の国際化は普通のこととなっている。今日、われわれは異文化を外国語で研究し、それを海外で発表することに何の違和感も感じない。このような状況に合わせて、研究者は国際的な感覚を身につける必要があるだろう。外国語の学習や、異なる文化や価値観を偏見なく受け入れられる態度が要求される。それと同時に、自らの文化を大事にし、それを海外に発信する方法も考えなければならない。
 個人的には今回のエコール・ド・プランタンを、挑戦と刺激、新たな出会いの場として記憶したい。この気持ちを忘れず、雨垂れ石を穿つように、こつこつと努力を重ねていきたい。

エコール・ド・プランタンに参加して―大会3日目、4日目報告

[井口俊]

 私自身エコール・ド・プランタンへの参加は、2012年のパリ大会に続き二回目の経験であった。前回はフランス留学開始後、半年ほどしか経っていない時期のことで、正直に言うと眼前で交わされているやり取りの半分も理解できておらず、物言わぬ一聴衆として参加するに留まっていた。一方、今大会には発表者、そして当日の運営を担当した大学院生チームの責任者として、昨年の準備段階から積極的に携わらせていただいた。
 発表者としては、大会3日目の午前中に「価値とヒエラルキー(Valorisation et hiérarchies)」というテーマのセッションで、「マイナージャンルの力—カリカチュアに見る1868年のサロン La Puissance d'un genre mineur : le Salon de 1868 vu par les caricatures」と題した発表を行った。19世紀パリのサロン会場を彩った作品、またそこに詰めかけた観衆を諷刺的に描いたサロン戯画を主な資料として、ジャン=レオン・ジェロームの1868年のサロン出品作を中心に論じ、美術批評研究、作品の受容研究の新たな可能性を提示しようと試みた。イメージによる批評とも呼べるサロン戯画は長らく、テクストによる批評に比べ不真面目で劣ったものと見なされ、本格的な研究対象として扱われることは少なかった。しかし、戯画画家たちはそうしたジャンルの特質を逆手に取るかのように、19世紀フランスにおける芸術のアカデミックなヒエラルキーから自由に批評活動を行っていた。称賛するでも批判するでもなく、作品を笑い読者を喜ばせるためには、作品の本質を鋭く捉え、その箇所を誰にでも分かりやすい形で抉り出す必要がある。サロン戯画を入念に読み解くことで、テクストによる批評の読解だけでは気づくことの難しい、同時代受容の有り様を明らかにすることができるのである。筆者は日本での修士論文執筆以来ずっとサロン戯画を専門的に調査研究し、マイナージャンルの持つこうした〈力〉に着目してきたので、今回の発表テーマはまさに自分の興味と合致するものであった。
 外国語による発表で、その大半が自らの専門に近いわけではない参加者の注意をどれだけ惹くことができるのかが本発表の最も大きな課題であったが、サロン戯画のイメージの魅力を助けに、今後の研究の参考となる様々な質問や指摘をいただくことができたことは大きな励みとなった。


 話題変わって大会4日目は、希望者を募り都内の美術館見学を行った。いくつかのグループに分かれ、東京国立近代美術館、ブリヂストン美術館、三井記念美術館、三の丸尚蔵館をまわり、常設展・企画展を鑑賞した。大会も始まって4日目ともなると、実際の作品を目の前にしての意見交換はもちろん、昼食時や移動時に交わす何気ない会話のやり取りも調子が出てきて、外国からの参加者と打ち解けた雰囲気の中、同じ時間を共有することができたことは忘れがたい。見学会のグループの中には非常に日本通の先生がおり、銀座の鳩居堂に行き和紙を買いたいと提案されたのには驚いたが、外国の研究者が日本のどういった文物に興味をもっているのか知ることができたことも良い経験となった。
 一週間にも及ぶ国際セミナーの開催には、多くの人手と準備期間を必要とし、縁あって大学院生チームの責任者を務めさせていただいたが、大過なく大会が運営できるのか緊張の日々だった。しかし、三浦先生以下、普段は海外に留学している博士課程の学生も皆が集まり、一つの目標に向け協力していく過程は楽しくもあり、無事に全てのプログラムを終えた時には清々しい充実感があった。今回は裏方に徹して下さった修士課程の皆さんにも心より感謝したい。最後になりましたが、本大会に賛同、協力して下さった全ての方々にこの場を借りてお礼申し上げます。

第12回エコール・ド・プランタン(於東京)における「枠組み」再考の試み

[松井裕美]

 三浦篤先生の総指揮のもと開催された第12回エコール・ド・プランタンに、この度コメンテーターとして参加させていただく機会を得た。本大会では、「枠組み」というテーマをもとに、様々な研究発表がおこなわれた。この課題が目指すものは、慣習的な既存の定義を共有することではない。反対に、それぞれの発表者の考察は、時代、作品、状況によって異なる「枠(どり)」を論じるなかで、視覚芸術の解釈の多様な可能性と、その方法論の豊かさを示してくれたように思う。ここでは、私がコメンテーターを担当した大会2日目(610日)の様子を、発表の内容に触れながら報告したい。
 東京国立博物館の平成館講堂でおこなわれた大会2日目は、佐藤康宏先生の 基調講演により幕を開けた。“Absence of Boundaries, Presence of Frames: Two or Three things I Know About Japanese Art”と題されたこの発表は、不動の囲いによって対象を規定するような意味での「枠組み」という概念から一端離れ、「枠どる」という行為そのものに注目することで、「枠」あるいは「枠組み」の様々な様態に関する考察を促すものであった。そこでは、「枠どる」という行為によって、既存の空間や概念の枠組みに亀裂を生じさせつつ、新たな視野の枠、空間や時間の表象を生み出すものであることが、古代から現代の漫画にまで至る日本美術の流れのなかで示された。


 このような「枠組み」、あるいは「枠どり」の創造的な機能は、続く午前の「装飾」をテーマとしたセッション、午後の「時間と空間の表現」をテーマにしたセッションにおいて、個別の事例に則して確認されることとなる。Veronica DELLAGOSTINO氏が中世イタリアのフレスコ画に関する研究で示したように、作品における付随的なものとしてみなされる傾向にある装飾的な要素は、作品を資料として研究する際の決定的な要素となりえる。田中健一氏が法隆寺橘夫人厨子に関する発表のなかで、あるいは井戸美里氏が金屏風に関する発表のなかで示したように、空間を装飾し切り取ることで非日常の空間を生み出すような「枠」は、聖性や象徴性を付与する機能を持つ。また永井久美子氏が源氏物語絵巻のすだれや屏風の表現に則して描き出したように、描かれた「枠」は、その内と外との関係のなかで、表象された人物の心理を暗示することを可能とする。Bénédicte TRÉMOLIÈRES氏によるモネの大聖堂に関する発表や、Merlin SELLER氏によるウォルター・シッカートの作品に関する考察では、時間概念の表現に寄与するような、刹那的な時間の「枠どり」について論じられた。
 最後に大会の全体の様子について触れたい。私は今までに、2011年第9回フランクフルト大会の聴講生として、また2012年第10回パリ大会の発表者として参加させていただいているが、毎回学生のあいだでは、大会の特徴である多言語主義や、研究の方法論をめぐる議論が、休み時間中、あるいは食卓を囲んで、活発におこなわれる。母国語で伝えることの重要性、外国語を話さなければならない言語的マイノリティーの存在、専門性と学際性の両立の困難さ。エコール・ド・プランタンは、まさにconvivial(ともに食卓を囲むような、共生的な)というフランス語の形容 詞に最もよくあてはまる、親密な場をつくりだす機会であるが、そのような相互共生的な親睦の場でこそ、言語的にも方法論的にも多様な枠組みの対話が可能になることを、この度はより強く実感させられた。このような国際的な大会に参加する機会を与えて下さった三浦篤先生をはじめとし、大会の運営の実現に携わられた多くの諸先生方、先輩方、三浦先生ゼミの皆様に、この場を借りて深謝申し上げます。

2014年2月11日火曜日

日仏若手研究者による第1回CEM『身体の構築と定義』の開催を経て


[松井裕美]

 今年度、パリ国際学園都市の日本館で多文化研究会(CEM)を担当する機会を頂き、28日の第1CEMにおいて『身体の構築と定義』と題した日仏若手研究者による研究会を開催した。
 アラン・コルバンらにより編纂された『身体の歴史』(藤原書店)をはじめとし、学問的な領野を越えて身体の歴史的・文化的・思想的構築に関する議論を交わす場の必要性から、近年、人文科学の分野で様々な辞典・アトラス・論文集が出版されている。これらの動向を踏まえ、第1CEMでは䑓丸謙(パリ第10大学・ロンドン大学博士課程/EHESS日仏財団研究員)およびデルフィーヌ・ミュラール(フランス東洋文化研究所博士課程/フランス国立図書館研究員)の2人を共同企画者として、思想史・文学・歴史・社会学・美術史といった様々な諸人文科学の日仏若手研究者とともに、身体の構築と定義について学際的な場で議論する方法論的な地平を模索する会を企画した。60件ほど応募された要旨の査読の結果12人の発表による研究会が開催された(プログラムhttp://blog.apahau.org/journee-detude-construction-et-definition-du-corps)。



 学際的な研究会の開催には、多様な観点の研究における共通の関心を導き出すような、複数の主となる方法論的基盤と研究経験が必要とされるために、アーネット・ベッカー教授(パリ第10大学)、クレール・バルビヨン準教授(パリ第10大学)、エステル・レジェリー=ボエル準教授(フランス東洋文化研究所)の3名がComité scientifiqueとして査読・司会・運営と様々なかたちで携わってくださったことは私達開催者にとって何よりも心強い後ろ盾であった。また当日の司会と発表の双方をご担当されたベルナール・アンドリュー教授(ロレーヌ大学)は、Dictionnaire du corpsCNRS)を出版されたご経験から議論を常に活発な方向へと導いてくれた。
 外国の地で分野や言語の壁を越えた対話の機会をつくりだすことは私にとってはじめての挑戦であり、手探りの模索のなかで、多くの方々の協力を得てはじめて成功した会であったように思う。この会が参加者の皆様にとって有意義な時間となったことを切に願うと同時に、ご協力下さった皆様に、企画者としてこの場を借りて心よりの謝意をお伝えしたい。会の具体的な成果は論集のかたちで出版する予定である。