2020年6月30日火曜日

「ジャポニスム2018」の遺産(レガシー)(2) —日本美術展から大英マンガ展へ—

[三浦篤]

 「ジャポニスム2018」という一大イベントは、主催者がどこまで明確に意識していたかは別にして、歴史的に見れば、19世紀の万国博覧会の日本展示を継承する日本文化博覧会であり、第2のジャポニスムの盛り上がりを期待する国家的文化輸出政策につながるものであった、というのが前回のブログの骨子であった。

 今回は実際の展覧会について、美術展を中心にコメントしたいのだが、私はすべての展示を見られたわけではない。2018年12月の第3週という渡仏時期の関係で、「深みへ-日本の美意識を求めて」展(ロスチャイルド館)、「若冲−動植綵絵を中心に」展(パリ市立プティ・パレ美術館)、「縄文−日本における美の誕生」展(パリ日本文化会館)、「藤田嗣治:生涯の作品(1886-1968)」展(同館)などは見逃してしまった。前回紹介した「日本−日本趣味、1867-2018」展(装飾美術館)以外に見ることができた展覧会は、「京都の宝−琳派300年の創造」展(パリ市立チェルヌスキ美術館)、「明治」展(ギメ東洋美術館)、「マンガ⇔東京」展(ラ・ヴィレット)であった。 

 パリ市立チェルヌスキ美術館で開催された琳派展(図1)は、俵屋宗達作、国宝「風神雷神図」が展示されたという点において衝撃的であったが、本阿弥光悦、宗達から尾形光琳・乾山へ、さらに江戸後期から近代にかけて琳派を継承する画家たちへと、絢爛豪華な装飾美の移り変わりを、優品を通して適確に見せてくれる好展示でもあった。絵画をはじめ書跡、陶芸、漆工なども含んでいるため、素材や技法の説明を丁寧にしているのもよかった。そして、日本ではここまでクローズアップされない近代の神坂雪佳を最後に大きく扱う意外な構成は、現代の生活美術全般にも通じる斬新なデザイン感覚を面白がるフランス側の関心の所在を感じた部分である。

図1:「京都の宝−琳派300年の創造」展、パリ市立チェルヌスキ美術館、2018年

 ところで、琳派展と並んで縄文展が行われたことは、1930年代にパリに滞在した画家岡本太郎が日本美術再評価を行ったことを思い起こさせる。岡本が『日本の伝統』(1956年)の中で取り上げたのが、縄文、琳派、石の文化(庭の飛石や石垣)であり、これは岡本の個性のみならず、フランス的な価値観を身につけた芸術家の感性を通した興味深い選択であった。その意味で、岡本の日本美術再評価にはフランスを通じたジャポニスムの環流という側面もあり、「ジャポニスム2018」もまた、一見すると日本美術の総花的な展示を提供しているように見えるが、フランス側の求める日本イメージとニーズを十分意識している。ただし、日本側も新味を出そうとしており、江戸時代の美術としては、欧米であまりにも有名な北斎を始めとする浮世絵版画を避けて、日本で近年圧倒的な人気と評価を誇る伊藤若冲の展示をプティ・パレ美術館で行ったのは確かに快挙であった。

 フランス側の奇妙なバイアスを最も感じた展覧会は「明治」展(図2)であり、首を捻った人も多いことだろう。展示物の中心がロンドン在住のナセル・ハリリの日本近代工芸コレクションであることが決定的なのだが、それだけではない。明治の日本を天皇制、西洋化、殖産興業、帝国主義といったイメージで囲いつつ、フランスで受容された建築、絵画(暁斎など)、版画、写真(アイヌ民族)などにも触れながら、輸出用工芸品としての陶磁器、漆器、家具、置物、細工物等々を大量に展示しており、何とも偏った内容であった。せめて「明治の工芸」展、あるいは「輸出された明治美術」展くらいならば、展覧会として理解できなくはないが、この展示で「明治」展と銘打たれてもただ戸惑うばかりであった。

図2:「明治」展、ギメ東洋美術館、2018年

 さて、ラ・ヴィレットの大ホールで開催された「マンガ⇔東京」展(図3)はどのように演出されていたのか。毎年行われる「ジャポン・エクスポ」が象徴するように、フランスは日本のマンガやアニメの受容に関しては世界でもトップクラスの国である。今回の展覧会は森川嘉一郎(明治大学国際日本学部准教授)をキュレーターに迎え、日本の国立新美術館との連携の下に準備されたもので、マンガ・アニメ・ゲーム・特撮作品に描かれた虚構としてのメガロポリス東京(前史としての江戸も含む)とリアルな都市東京とのイメージの相互嵌入を擬似的に体験するという、テクノロジカルでダイナミックな企画であった。マニア向け、日本好き向けの感もあったが、社会学的、文化史的な関心に導かれた知的な展示としても興味深いものがあった。

図3:「マンガ⇔東京」展、ラ・ヴィレット、2018年

 ちなみに、翌2019年にロンドンの大英博物館で観た「Manga/マンガ」展(図4)は、ラ・ヴィレットの「マンガ⇔東京」展とはまったく異なり、あくまでも視覚芸術としてマンガを捉えた展示であった。啓蒙主義的だが、単なる紹介に終わらないよう構成を工夫し、いくつかのテーマ、トピック別にマンガの魅力と全体像を伝えようとする意欲が十分伝わってきた。権威を持つ国立博物館でサブ・カルチャー系の展覧会が開催されたことは画期的で、フランスでマンガ展が開催されたのは展示会場のラ・ヴィレットであり、決してルーブル美術館ではないという大きな違いを認識せねばならない。「ジャポニスム2018年」ではハイ・アートとポピュラー・アートの区別は明確で、ルーブル美術館で展示されたのが名和晃平の巨大な彫刻作品「Throne」であったのは象徴的である。

図4:「Manga」展、大英博物館、2019年

 以上、「ジャポニスム2018」の個別の展覧会についての私の感想を述べたが、欧米への日本文化の「輸出」は次なる段階に入ろうとしていることを強く感じさせてくれた。相手の文化に合わせた紹介は必要だが、安易な妥協や迎合は必要なく、異質な美意識、価値観が接触して葛藤を起こし、違和感を醸し出すことも重要ではないか。意味のない神秘化も困るが、無理に分かりやすくする必要もない。理解の難しいものはそのまま提示し、自分だけ固執するのではなく、相手に同化するのでもない、文化の化学反応を起こして、ハイブリッドな新しいモノが生まれることを期待したい。「ジャポニスム2018」がその触媒となり得たかどうかを知るにはなお時間が必要である。