2017年5月29日月曜日

パリの石橋コレクション

[三浦篤] 

 5月のパリ出張で「石橋財団ブリヂストン美術館の傑作」展を観た。モネの「睡蓮」でよく知られるオランジュリー美術館で2017年4月5日から8月21日まで開催されており、日本の西洋絵画コレクションのヨーロッパでの紹介という意味では、私が2015年〜2016年にドイツのボンで組織した「日本の愛した印象派」展の流れに続くものだ(2015年10月18日のブログ参照)。あのときは、石橋コレクションを含め、日本の主要なコレクションからAll Japanで出品していただいたが、今回はひとつのコレクションの優品を紹介する企画で、個別コレクションの実力が試されるのだが、1日4千人近い観客数と聞いたので、パリの展覧会としてはよく入っていると言ってよい。私としては、カタログにテクストを書かせていただいたご縁もあり、ブリヂストン美術館で見慣れたコレクションであるから、半ば確認のつもりで訪問したのである。




 ところが、会場に入ってみて予想を超えた展示に少なからず驚いた。まずは、始まりが西洋近代絵画ではなく、日本近代洋画、青木繁の《海の幸》という選択。石橋正二郎は最初、青木繁、藤島武二など日本近代洋画の収集から始め、その後、印象派などフランス近代絵画を購入していったのだから、そのコレクション形成史を尊重しているのだが、と同時に、「日本のコレクション」であることを印象づける効果もあるだろう。

 その後、フランス近代絵画から20世紀の抽象絵画までゆるやかに展示が移行するのだが、かつてブリヂストン美術館で観ていたときとは異なる印象を作品から受けたのは、なんとも不思議な気持ちだった。もちろん、美術作品は展示環境が異なれば違って見えるというのは常識に属するが、妙に張り詰めた心地よい緊張感があるのだ。それは、壁ごとに左右対称性を意識して並べる西洋的な展示に由来するのかもしれない。あるいは、彫刻と絵画を見事に組み合わせる卓抜なセンスにあるのかもしれない(例えば、ロダンとセザンヌ)。





 さらには、観客の視線をスムーズに誘う導線とか、照明効果の素晴らしさとか、空気や湿度の差異もあるのかもしれないが、ともあれ、いろいろ考えを巡らしながら歩いていくと、まるでその作品を初めて観たかのような新鮮な体験の連続であったのは確かなのだ。要するに、フランスの美意識を通して提示された日本のコレクションということなのか。これは一見の価値があると保証しよう。

第3回ピカソ国際会議(バルセロナ)および第15回エコル・ド・プランタン(ジュネーヴ)発表報告

[松井裕美]

 この度、バルセロナで開催された第3回ピカソ国際会議(427日〜29日)およびジュネーヴで開催された15エコル・ド・プランタン(58日〜12日)に発表者として参加させていただく機会を得た。前者は2回目の発表、後者は4回目の発表・参加である。
 「ピカソとアイデンティティー」と題されたピカソ国際会議では、ピカソと解剖学の関係に関するこれまでの研究の独自の知見を踏まえつつ、ピカソ作品における女性像のアイデンティティーの変化がキュビスム的身体像と結んでいた関係を指摘した。このことを通して、ピカソのキュビスム的身体像の構築が従来考えられてきたような「女性への攻撃」ではなく、女性へ向けられた芸術家自身の眼差しへの内省とその解体に関わるものであるという視座から、《アヴィニョンの娘たち》を始めとする1907年前後の作品を再解釈した。結果会場に集ったピカソ研究者より新知見に対する承認を得たことは、この度の学会の個人的な成果である。また「想像力」をテーマにしたエコル・ド・プランタンでは、彫刻家デュシャン=ヴィヨンにおけるベルクソン思想の影響を論じた。そこではベルクソン思想の参照を証拠づける未刊行資料を紹介しながら、芸術家がベルクソンの生気論から受けた影響について、素描と手稿の分析をもとに論じた。本発表が契機となり、休憩時間中には会場の方々との対話の中で現在私が進めている研究課題に関連する有益な情報を得ることができた。

 ところで、この度のピカソ国際学会とエコル・ド・プランタンには、開催地固有の文化における「国際性」と「地方性」との関係を展開するという姿勢が共通して認められた。例えばジュネーヴの学会企画のエクスカーションでは、ジュネーヴの歴史遺産の保存と展示(展示理念や展示に関わる係争)に焦点をあてた解説がなされ、参加者同士で他の都市の博物館展示の問題と比較し議論する機会となった。またバルセロナでのピカソ学会ではピカソの「カタルーニャ性」、「スペイン性」といった視点が議題にのぼり、同芸術家の「フランス性」、「ドイツ性」、「ユダヤ性」、「ソヴィエト性」、「アフリカ性」と並置され、再検討された。こうして、国際的な評価を受けたピカソが様々な共同体(地域・都市・民族・国家)の歴史に再編される動的で複層的なプロセスが、会を通して浮き彫りになった。特定の地方の文化的特有性を主張するばかりではなく、文化の「地方性」が形成される歴史を、学問という客観的立場から国際的な場で共有し比較・考察の対象とする姿勢は、バルセロナとジュネーヴという、地方文化の特有性を大切に守りながら外部へと開かれた国際都市でもある場での開催であるからこそ一層、学会全体をより意義深いものにしていたように思われた。


ピカソ国際会議2日目の懇親会はバルセロナの街を一望するミロ財団の美術館で開催された。