2012年7月14日土曜日

シンポジウム「時の作用」に参加して


[三浦篤] 

 6月5日に陳岡さんからブログ報告があったように、国立西洋美術館で行われたユベール・ロベール展(このような展覧会が実現できたこと自体が貴重だ)を記念するシンポジウムは充実した催しであった。4月14日の第一部「時の作用」に発表者として参加した立場から、遅まきながら感想を述べたい。


 展覧会を通して「廃墟の画家」ユベール・ロベールの面白さが改めて浮上したことは、足を運んだ方には分かると思う。シンポジウムはロベールを越えて、西洋美術史に与えた「時間」の作用、機能を多角的に検討するという構成になっていて、ロベールから触発された問題がさらに広がり、深まったと思う。実際、大きなテーマを前にした登壇者の気合いの入れ方も違っていた。
 開会の辞を述べられた青柳正規氏からして、古代ローマ美術研究者というお立場からシンポジウムの序となる問題提起をなさっていたし、高階秀爾氏の基調講演も西洋における時間と廃墟と美術をめぐる壮大な内容であり、続く発表の起爆剤となるものであった。
 イタリア・ルネサンス絵画をテーマにした小佐野重利氏の有意義な発表から分かったのは、美術と時間という問題は、歴史をいかに認識するか、美術で「時間」をいかに表すか、という二つの大きな側面を含んでいるということであった。続くバルテレミー・ジョベール教授の発表が、やむなきご事情ためにキャンセルされたのはかえすがえすも口惜しい。ゴシック・リヴァイヴァルというロベールと近い時代の重要な美術現象を主題にしておられたからである。
 午後の発表では、ギヨーム・ファルー氏によるギャヴィン・ハミルトンの《ヘレネをパリスに差し出すウェヌス》に関する興味深い分析に続き、展覧会企画者の陳岡さんによるロベールに関する発表があった。時間というテーマに集中して、この画家を読み直す試みとして刺激的であった。
 休憩のあと私自身は、近代絵画における過去と現在の相克や癒着を典型的に表す画家マネの作品をいくつか取り上げ、新たな角度から論じてみた。最後の阿部成樹氏の発表はアンリ・フォシオンの著作に歴史記述の別個の可能性を見出す内容で、今後の考察の糸口を与えてくれたと思う。
 総合討議は高階氏の見事な司会の下に熱心な討論が行われた。論じきれなかった問題もあるが、久々に手応えのあるシンポジウムを経験し、まさに時間の質を意識させられた1日であった。