2012年9月12日水曜日

ポーラ美術館との合同研究会


安永麻里絵

 20127月1日、箱根のポーラ美術館にて、同館学芸部と三浦ゼミとの合同研究会第二回が開催された。
 本研究会は、企画展『印象派の行方』の研究成果を出発点に、さらに議論を深める目的で開催された。美術館における知と大学における知がいかに響き合うか、その可能性を実践的に探る、という他に類をみない試みである。
 『印象派の行方』展は、いわゆる最後の印象派展以後の印象派、を主題とする。すなわち、1886年の第8回印象派展(スーラが«グランド・ジャット島の日曜日の午後»を出品した展覧会である)をもって、「印象派」が“最も先鋭的な芸術家集団”の座を新印象主義や総合主義をはじめいわゆるポスト印象主義の世代に明け渡したとされる1890年代以降、印象派の画家たちはどのように制作を行い、同時代の画家や批評家にいかに評価されていたのか、を主題としている。
 研究会では、ポーラ美術館からは島本英明と東海林洋の両氏にご発表いただき、三浦ゼミからは川辺和将、農頭美穂、安永麻里絵の3名が発表の機会を頂いた。展覧会を担当された島本氏による「1890年前後のルノワール評価―印象主義と古典主義のはざまで」では、ルノワールが1884年から1887年にかけて制作した大作«大水浴»(フィラデルフィア美術館蔵)とポーラ美術館所蔵の«髪飾り»1888年)を軸に、印象派展以後のルノワールの画業における古典主義の受容と意義が考察された。氏は、前衛的芸術家としての立場を経験した印象派の画家たちの「その後」の制作活動における古典主義の意義、という研究会全体に共有される視点を提示された。ピカソの内面における古典芸術とのある種の抑圧的構造と彼の画風の展開の関連性の分析を試みた東海林氏による「パブロ・ピカソ―古典の影」もまた、同様の問題意識に根ざしている。一方で、美術作品や画家の周辺、つまり美術批評家、画商、コレクターといった視点からの考察も提示された。川辺の「売るクロード・モネ―市場と言説をめぐる画家の戦略」は、美術市場に戦略的に自作を売り込む画家、というモネの新たな一側面に光をあて、農頭による「ピエール・ボナールをめぐる言説についての試論―印象派の後継/改革者、取り残される熟練の画家」では、印象派という前世代のビッグネームとの関連性によってボナールの評価が揺れ動くさまが描き出された。安永による「世紀転換期ドイツにおけるフランス印象派の受容」では、印象派の作品が、批評家による“前衛的特質”の保証によって市場価値を得ていた時代の後に、近代美術史の一部としてそれらが美術館コレクションに組み込まれていく過程が考察された。

[左:発表風景 右:荒屋鋪館長]

 島本氏が発表の終盤で示された、ルノワールがルーヴルに飾られた自作を見に訪れた経緯についての考察が個人的に印象に残っている。画家にとっての美術館という見方が、作品を蒐集する側である美術館を主体とする私自身のアプローチとどこか接点を結ぶように感じられたからだ。作品その物を身近に置かれている美術館の方々のご研究と、資料から出発することの多い大学の研究は、たとえばレジュメの作り方ひとつをとっても随分と違っているけれども、両者が出会うことで、さらに新しい視界が開かれる、そのことを実感した研究会だった。2005年の第一回に引き続き、ご多忙の中このような貴重な機会を快く提供して下さった荒屋鋪館長をはじめポーラ美術館学芸部の皆様に、厚く御礼申し上げる次第である。

2012年9月10日月曜日

近況報告

[清水奈由(旧姓:宮坂)]


 2009年3月まで博士課程に在籍していた清水(宮坂)です。2005年から2007年にかけてスイス・ローザンヌへ留学し、帰国直後から名古屋の美術館に勤めていたので、留学前のゼミ以来お目にかかっていない方がほとんどで、すっかりご無沙汰いたしております。2009年に結婚を機に美術館を退職して、東京に戻ってきました。
 昨年末には長男が誕生し、間もなく9か月。たとえ夜中に幾度か起きても、翌朝早くから元気いっぱいで目覚める溢れんばかりのエネルギーに圧倒されながら、育児の合間に家事をしているうちに、いつのまにかまた夜になっている、という日々を送っています。授乳・おむつ・食事・おむつ・授乳・昼寝・おむつ…と毎日同じような繰り返しの反面、寝返り、おすわり、予防接種、離乳食など、驚くほどのスピードで変化していく乳児期の成長に合わせて、次々と新しい出来事に出合う日々でもあります。最近の息子は、寝返りとはいはいを組み合わせて、僅かの間に思わぬ所まで移動し、様々な物に興味を示して触ったり口に入れたりするようになり、目が離せなくなってきました。生まれたばかりの頃は、あまり力を入れて持つと怪我させてしまうのではないかと、おそるおそる抱っこしていたのに、今ではコンセントに手を伸ばそうと這っていくのを必死で引き戻しています。



 今後しばらくは育児に最も手のかかる時期だと思いますが、息子がもう少し大きくなり家族に預けて夜でも外出できるようになったら、またゼミ会に参加して皆様にお目にかかれるのを楽しみにしています。

2012年7月14日土曜日

シンポジウム「時の作用」に参加して


[三浦篤] 

 6月5日に陳岡さんからブログ報告があったように、国立西洋美術館で行われたユベール・ロベール展(このような展覧会が実現できたこと自体が貴重だ)を記念するシンポジウムは充実した催しであった。4月14日の第一部「時の作用」に発表者として参加した立場から、遅まきながら感想を述べたい。


 展覧会を通して「廃墟の画家」ユベール・ロベールの面白さが改めて浮上したことは、足を運んだ方には分かると思う。シンポジウムはロベールを越えて、西洋美術史に与えた「時間」の作用、機能を多角的に検討するという構成になっていて、ロベールから触発された問題がさらに広がり、深まったと思う。実際、大きなテーマを前にした登壇者の気合いの入れ方も違っていた。
 開会の辞を述べられた青柳正規氏からして、古代ローマ美術研究者というお立場からシンポジウムの序となる問題提起をなさっていたし、高階秀爾氏の基調講演も西洋における時間と廃墟と美術をめぐる壮大な内容であり、続く発表の起爆剤となるものであった。
 イタリア・ルネサンス絵画をテーマにした小佐野重利氏の有意義な発表から分かったのは、美術と時間という問題は、歴史をいかに認識するか、美術で「時間」をいかに表すか、という二つの大きな側面を含んでいるということであった。続くバルテレミー・ジョベール教授の発表が、やむなきご事情ためにキャンセルされたのはかえすがえすも口惜しい。ゴシック・リヴァイヴァルというロベールと近い時代の重要な美術現象を主題にしておられたからである。
 午後の発表では、ギヨーム・ファルー氏によるギャヴィン・ハミルトンの《ヘレネをパリスに差し出すウェヌス》に関する興味深い分析に続き、展覧会企画者の陳岡さんによるロベールに関する発表があった。時間というテーマに集中して、この画家を読み直す試みとして刺激的であった。
 休憩のあと私自身は、近代絵画における過去と現在の相克や癒着を典型的に表す画家マネの作品をいくつか取り上げ、新たな角度から論じてみた。最後の阿部成樹氏の発表はアンリ・フォシオンの著作に歴史記述の別個の可能性を見出す内容で、今後の考察の糸口を与えてくれたと思う。
 総合討議は高階氏の見事な司会の下に熱心な討論が行われた。論じきれなかった問題もあるが、久々に手応えのあるシンポジウムを経験し、まさに時間の質を意識させられた1日であった。

2012年7月6日金曜日

フランスのアーカイヴ調査体験


 [齋藤達也]

 フランス留学一年目のアーカイヴ調査体験について簡単に紹介したい。ただし私の研究対象である美術批評家エルネスト・シェノーの調査を通じたものであるので、幾分か調査方法に偏りがあるかもしれない。
 まずは資料の所在を突き止める必要がある。アーカイヴ資料検索エンジンとしてはCalamesAGORHAが有用であった。また各種大量の二次文献の索引に目を通し、シェノーに関わる情報を集めた。モロー美術館所蔵のシェノーによる書簡の存在は、この作業によって知り得た。
 資料探索ではむろん紙の目録を徹底的に調べる必要もある。これはArchives nationalesで特に求められる方法だろう。19世紀の美術関係者の書簡を大量に保管するFondation Custodiaは目録を部分的にウェブ上で公開しているが、コレクションの全容を知るには現地に赴かなくてはならない。 フランス短期滞在でArchives nationalesArchives du Louvreの調査をする場合には、ウェブ上で公開されている大まかな目録と整理番号で、事前に求める資料のありかの当たりをつけておくと効率的だろう。
 資料は写真撮影することになるだろうが、その場で写真のできを確認することで失敗を防ぎたい。閲覧室は往々にして暗いからだ。PCに写真を移行したら、その日のうちに整理し、整理番号と写真とを対応させるのが理想である。通常、整理番号は資料の保管されている箱のレベルで付されているが、箱の中のファイルごとのレベル(Dossier)に付けられたタイトルも記録する。フランスでのMémoireThèseでは、資料の所在をできる限り詳細に記述することが求められるからだ。

[左:書簡 右:Dossier]

 撮影した手稿は文字に起こす必要がある。フランス語を母語としない者にとっては、トランスクリプションは最も困難な作業のひとつである。この過程ではどうしてもフランス人の助けを借りることになる。
 フランスにおけるMémoireThèseでは、Annexes(付帯資料)が重視される。私の場合を述べれば、それはシェノー執筆の批評記事一覧(700本超)および未刊行書簡集となる。
 書簡などの資料を整理することは大事な作業であるが、むろんそれ以上に重要なことは、そうした資料によっていかに歴史を再構築するかというところにある。無数に収集した資料の中から意味のある記述を見出した時の喜び、大げさに言い換えれば、誰も知り得なかった歴史的事実に出会った瞬間の感動は、何事にも代え難い。二次文献に敬意を払いつつも、情報の究極的な出所を常に意識することが、歴史学としての美術史には必要なのだと思う。

2012年7月1日日曜日

AAHサマー・シンポジウム発表報告(於ロンドン)

[松井裕美]


 628日、ロンドンで行われたAAHサマー・シンポジウムに参加した。 AAH( Association of Art Historians ) は学術雑誌Art Historyを刊行している 英国に基盤を置く学会組織であり、美術史関係の研究者、学芸員及び学生を会員としている。AAH会員による毎年恒例のサマー・シンポジウムでは、博士課程の学生が主に発表する。「芸術と科学」をテーマとする今年度のシンポジウムでは、薬のパッケージの歴史や立体物の視覚的理解に関する現象学的考察など、従来の美術史にとらわれない多様なテーマの発表が行われた[大会サイト



会場は王立美術アカデミーの一角にあるリネン研究所の一室。かつてダーウィンが進化論を発表した同じ部屋で研究発表をできる喜びに、思わず心が躍る。
この度は個別のデッサンの作品分析を通して、ピカソの解剖学的知識と1907年の作品における身体イメージとの関係性について論じることで、この画家のキュビスム様式の黎明期に関して新たな展望を開いていくことを試みた。質問をして下さった方の中には、プログラムの内容を見て私の発表を聞きにエジンバラより聴講に来てくださった20世紀美術研究者もいらっしゃり、具体的な資料に関する非常に有意義な情報交換をすることができた。
 フランスの大学の博士課程に進学して以降は、レポートや授業での発表の機会が極端に減る。博論という長期的な目標に向かいつつも、限られた期間のなかで研究をある一定のかたちにし、多くの人に意見を頂いて視野を広げていくためには、常に自ら努力して発表の場に乗り出す積極性と、そこでの対話を築く柔軟な姿勢が望まれることとなる。研究会のテーマが自らの関心に近ければ近いほど、必然的に研究の関心の交わる幸運な出会いに恵まれる可能性は高まるだろう。今後私に残された課題はあまりにも多くまた大きいが、同じくヨーロッパに留学する友人達と励ましあいながら、知ること、探求すること、そして共に議論し知を分かち合うことの喜びを、これからの研究の進展に繋げていきたい。

2012年6月5日火曜日

国際シンポジウム「時の作用と美学」を終えて

[陳岡めぐみ]

つい先日、担当していた「ユベール・ロベール―時間の庭」展(国立西洋美術館)が閉幕し、巡回先の福岡市立美術館へ作品を搬送してきたところである。フランスの旧体制末期を生きた画家ユベール・ロベールの名前を耳にしたことのある方は、一般には少ないかもしれない。古代遺物を主な着想源として数々の空想的風景画を描き、かつて「廃墟のロベール」の名を恣にした画家である。今回のシンポジウム(4/14:国立西洋美術館、4/15:東京日仏学院)は、国内ではじめてロベール芸術を紹介するこの展覧会の開催にあわせて企画した。ロベールに直接焦点を合わせるのではなく、人や芸術に時がもたらす作用と美学をめぐる議論を通して、作品の時代背景や今日的意義を探ることが趣旨である。


共同企画者となったラディック氏とのご縁もあり、三浦先生には早い段階から相談に乗っていただいた。プログラムの詳細はPDFを参照していただきたいが、発表者は勿体ないほどに重厚な布陣となり、当日はきわめて密度の濃い発表が続いた。2日間にわたって古代遺物から現代アートまで実に多彩なテーマが取り上げられ、閉会の辞を聞く頃には、古代から現代まで続く長い旅を終えた、あるいはマラソンを完走したような感があった。
惜しむらくは、今回、ルーヴル美術館のファルー氏とともにフランスから招聘していたパリ第4大学のジョベール先生が学長としてパリを離れられない事情が生じ、やむなく来日できなくなったことである。芸術と時間をめぐる議論の中で、古代と並んで大きなトポスとなるゴシック復興をめぐって、近世の英仏の状況が論じられるはずであった。それでも―手前味噌で恐縮だが―、個々の発表でこれほど多岐にわたる題材を扱いながら、総合討論に向けてこれほど相互の論点を引き出せ合えたシンポジウムは稀であったように思う。素晴らしい発表内容をご準備くださった先生方、そして長時間お付き合いただいた会場出席者の方々に、この場をお借りして、企画者として心よりの謝意をお伝えしたい。


2012年5月23日水曜日

Ecole de Printemps, パリ大会に参加して

[三浦篤]

 2012年5月13日〜19日はパリにいた。今年で10周年を迎えた国際美術史コンソーシアム「エコール・ド・プランタン(あるいは春のアカデミー)」に参加するためである。この組織の沿革と内容、および一昨年のフィレンツェ大会、昨年のフランクフルト大会については、昨年まで活動していたUTCPで紹介したことがあるので、ここでは繰り返さない。
http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/blog/2010/07/miura-atsushi-on-ecole-de-prin/
http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/blog/2011/05/post-452/
簡単に言えば、世界の美術史研究者十数人で作っている非公式な親睦会のような組織で、毎年どこかの場所に1週間集まり、テーマを決めて数十人の大学院生に研究発表をさせ、教員も含めて濃密な交流を行う催しである。ただし、私以外は皆欧米の研究者なので、共通言語は英仏独伊の四つ。日本人にとってはハードルが高いが、昨年から正式に加わることができて、学生たちも英語やフランス語で発表している。
 今年も日本枠で2人、フランス枠で1人、日本人若手研究者が発表し、皆貴重な体験をしたと思う。私も司会の一部を担当した。この大会では、発表の内容や質はもちろん重要であるが、同じくらい大事なことは、その後の質疑応答や議論に対応、参加できるかどうか、コーヒー・ブレイクやカクテル・パーティーでさらに交流の輪を広げられるかどうかであろう。そのためには、単に外国語運用能力があればよいというものではない(むろん、それすらも簡単なことではないが)。美術史研究に対する幅広い興味と関心の持ち方、日本を大事にしながらもそのマージナルな位置を抜け出ようとする積極的なメンタリティの醸成など、実はさまざまな条件が備わっていなければ「国際交流」など絵に描いた餅にすぎなくなる。
 特に、今年の大会は「芸術と知 Arts et Savoirs」(http://www.inha.fr/spip.php?article3774)がテーマで、西洋文化の広がりの中でイメージの在り方を論じる発表が多かったので、元来文化を共有しない日本人にとってはさらに難度が高いという印象を受けた。言葉を換えれば、視覚文化研究(ヴィジュアル・スタディーズ)に近い方向性になっていたのだが、美術史学にとってこの道がすべてではないとはいえ、方法論的な多様性を踏まえて議論する必要がますます高まっているということである。
 いずれは、日本でも大会を開催したいと思っている。それまでに、若手研究者がレベル・アップしていることを期待したい。